クラーナハ展が昨日から国立西洋美術館で開催されています。
2日目の今日、行ってきました。
クラーナハ、日本語読みではクラナハとかクラナッハとか呼ばれていて、いちばん馴染みがあるのはクラナッハなのですが、どれが一番原語に近い読みなんでしょうね?
自分とクラーナハは深い縁があって、実は自分、大学の卒業論文がクラーナハについてだったのです。
これ、超適当に書いた超いいかげんな論文なのですが、なんとか及第点もらえたのは奇跡。
でも、一応学校の図書館でクラーナハ関連の本は読みまくりましたよ。
とはいってもクラーナハ関連の本なんて、日本ではあんまり出ていないので、乏しい資料を元に文章をひねりだすのは大変でしたが。
そんなわけで、自分にとって思い入れの深いクラーナハの、日本初の大規模展、とても楽しみだったのです。
できるだけいい環境で見たかったので、会期2日目の朝一番に突撃してきました。
そうしたら、行列は20人程度。
でも、団体客がたくさん待機していましたね。
で、肝心の展覧会の中身ですが、正直ちょっと物足りない。
ヨーロッパ美術館巡り旅をして、クラーナハの作品を大量に鑑賞したり、図書館にとじこもって図版を見まくった経験からすると、やや散漫かなー、やや出品点数が少ないかなーという印象。
でも、クラーナハの2面性、アンビバレントな性質については、丁寧に語られていたように思います。
カトリックとプロテスタントの間を行ったり来たりして、また、聖と俗を行ったり来たりしていたクラーナハの節操のなさは、展覧会の中核をなしていて分かりやすかったのではないかと。
また、1つの主題で何十枚もの絵を量産したり、ほとんど同じモチーフをいくつもの別の絵に使いまわしていた、現代の作家主義とは異なるアートのあり方については、解説文ではある程度触れられていたのですが、もうちょっと作品として見せる部分が欲しかったかも。それは、大芬油画村の画家にクラーナハの絵を描かせた大量の模写作品が代弁していたので、それでよしとする部分も。
あとは、もうちょっとエロ画家としてのクラーナハにスポットを当てても良かったかもなーという気はしました。全体的に総花的で、わかりやすい反面どこにクラーナハの独自性があったのかがもうちょっとメリハリがあってもよかったかもなー。
自分が卒論のテーマにしたのは、クラーナハが、当時のデューラーなんかと比べて、その身体の描き方が異常なほど歪曲されている、マニエリスムもここまでやるか?的な驚きとフェティッシュな部分がいかに特殊か、ということだったのですが、それはさらりと取り上げられていて、もうちょっと突っ込んでほしくもあり。
でも、クラーナハフリークの自分としてもじゅうぶん楽しめた展覧会でした。
日本ではクラーナハ、あんまり人気ないのかもしれないので、それほど混まないかも。
会期早めならゆっくり見られる可能性が高いので、オススメの展覧会ですよ。