なので、それ系な言説が嫌い・苦手な人は、ここから先は読まないでください。
前もって注意したのに、それでも読む人については、それはもう知りませんよ、と。
「無性にいじめたくなる人」というのは、残念ながら存在します。
なんでそう言い切れるかというと、自分がそうだったから。
どういう人がそうなのか、というと、自分の考えとしては、「プライドに対して身体能力が伴わない」人がそうなる場合が多いのではないかと。
砕けた言い方をすれば「生意気なのにドンくさい」人。
自分の受けたいじめなどは彼の何万分の一程度だろうけど、それでも一応傷ついたりはしました。言葉の暴力と、あと背中や脛を小突かれたり・・。あの小突かれるのはボディーブローのように精神的に効いて来るんですよね・・・。
反撃すればよかったんですけどね、反撃することで状況が好転するとは思えなかった。学校の先生もわりと自分のこと煙たがっていたしね〜・・。それというのも、先生が男子の髪型を五厘刈りかスポーツカットにさせたかったのに自分が承服しなかったからなんですが。まあある意味自業自得。
当時死んじゃおうかな〜と考えたこともありましたけど、生存本能・「死の恐怖」には勝てなかった。このあたりがヘタレなのです。
それで、中一、中二といじめられて、中三の時にそれまでの経験を元に勝負に出ました。
それは、徹底的に卑屈になること。プライドなんか捨てて、自分がピエロになること。
その結果どうなったかというと、「いじめ」→「バカ扱い」と、微妙に自分に対するスタンスが変わりました。バカ扱いのほうがまだ耐えやすかった。いじめのターゲットは別の人に代わり、正直ホッとしました。
だけどその代償として、今でも自分の顔を鏡で見ることが出来ません。自分の顔が気持ち悪くて正視に堪えないのです。「人から好かれるにはまず自分のことを好きにならなければ・・」という言葉を聞くと泣きたくなります。それともうひとつ、「中学時代の学校での記憶がほとんどずっぽり抜け落ちて」ます。意図的に消しました。その気になれば記憶を消去するのはそんなに難しくない。時々フラッシュバックして、のたうちまわることはありますが。
それで。今回の事件。
彼は自殺を遂行し、自分は踏みとどまった。
じゃあ踏みとどまった自分の、そこからの人生はどうだったかというと、あんまり大したものじゃない。長々と生き延びる価値があったとは到底思えない。これから先についても、現状もいつホームレスになってもおかしくない生活だし、今後明るい未来が待ってるとも思えない。
・・だけど、それはどんな人も大して変わらないような気がする。
巨万の富を築こうが、1000人の女の子とセックスしようが、それが必ず心を癒してくれるとは限らない。ハッピーかそうでないかは、事象ではなく気持ちの問題だと思うのです。
神様からの視点で見れば、ほとんどの人間の人生はみんな等しくくだらないものなんですよ。小さな幸せも大きな幸せも大差ない。どう受け止めるか、だけ。
自ら命を絶ってしまう人にとっては、「死」は救い、なんだと思います。救いだし、甘美な誘いだし、相手へダメージを与える最後の手段。だから、「生きていればいいこともあるのにさぁ」と軽々しく言うべきではない、と思う。特に小学生〜中学生の時期は「学校=全存在」だったりするし。
プライドを捨てて延命に走った自分が、プライドを守って死んだ彼より正当な判断が出来ていたとは、全く思えない。彼の自殺は、決して愚かな決断ではない。むしろ今時は珍しい武士的な精神の持ち主だと思う。
加害者の生徒は一生の呪われればいいと思うし、そういった空気を醸成した先生も苦しめばいい。
だけど、死を選んだ彼が「精神的に弱かった」ということでは決してないと思います。彼を蔑む蛆虫のような連中と同じ場所までおりてくる、という決断をすれば死は避けられたはず。だけど彼にはそれが耐えられなかった。それよりも敢然と死を選んだ。永遠の「勝利者」になった。間違っていたのは学校や周囲の環境で、彼自身は全く間違った判断をしてない。彼を諌めたり哀れんだりするのは傍観者としては納得しやすい結論だけど、それは違うと思う。そうやって怒りや悲しみを簡単に消費してはイケナイ。哀れむべきは高貴な精神を持った彼のことではなく、彼を殺してなお笑っていられる神経しか持ち合わせてない奴等のほう。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20061022&j=0022&k=200610220665
とても残念なのは、彼に「学校」以外の抜け道があれば。
「学校=全存在」ではなく、それ以外にひとつでも自分の身をおける場所があれば・・。
自分は中三でプライドを捨てるという対策をとるよりも前に、逃げ道としてサブカルチャーにどっぷり漬かってました。渋谷・六本木・横浜あたりを徘徊してた。
実際サブカルチャーなんて生産性ゼロの益体もない趣味で、今のロクデナシの自分がいいざまなのですが。
だけど、その頃の体験がその後何年も経て、こうやってはてなダイアリーで文章を書く基礎になってるのは間違いない。
この駄ブログを読んでくださって、音楽とかアートとかお菓子とか、何かちょっとでも参考になったり、情報をゲットしたりしてくれる人がいれば、負け犬根性の自分も、多少なりとも報われるような気がするのです。
彼にも、そういう息の抜ける場所があれば・・・。