ようやく着きましたよ。
午前中に家でて、これだもん。遠い。遠すぎ。
マジで木場と入れかわってほしいです。
さて、帰ってきました。楽しかったです。
感想を他の人の記事とか全然読まずにカキコ。
入って第1室が、いきなりチャップマン兄弟。
畢生の大作「地獄」が出てるということでドキドキしながら部屋に入ると、
・・・・あれ?
写真展示だけなんですか!?
う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(うなり声)
「地獄」の一部を接写したパネルが9枚。
細部を知るにはいいけど、これだけじゃなんだか分からないよなぁ・・。
内容は知っているものだったけど、それでもやっぱり細部まで作りこんだ
文字通りの地獄絵図はすさまじい執念を感じさせます。
次の部屋がトニー・アウスラーのビデオ・インスタ。
人間の顔が画面合成で極端に歪められていて、(具体的には左右が入れ替えられた目と
口だけの存在にされ)円形やおむすび型のスクリーンに投影されることで
まるでなにかのキャラクターのようにカリカチュライズされた存在になっている。
これも先の「地獄」とは別の意味で見る人を不安にさせ、また不快な感情を呼び起こす
ものになっている。
いやーな気分をひきずりながら次の部屋へ向かうと、川内倫子さんの写真パネルが並んでいる。
写真のセレクトは、最新刊「AILA」からのものが中心となっていて、彼女独特の淡い色彩の中に
「最も弱い生命の存在としての『誕生』の瞬間」が収められていて、そのか弱さが脆い結晶のように美しい。
・・・ここでこの展覧会の意図するものが分かってきた気がする。
日常の中でつい忘れてしまう、自分が「生きている肉(living flesh)」ということ。
それはいつその活動を終わらせてしまうともしれない身体の中にはかなく息づいている、
その弱く小さく、醜くもある存在。そのことを強烈に思い起こさせる作品を展示しているのが
この「孤独な惑星」展の主旨なのではないかと。
次の会田誠の部屋に入ると、いきなり真っ暗闇。
しばらくすると、轟音とともに、壁面にスポットライトが当たり、彼の代表作のひとつ、
「スペース・ウンコ」と「スペース・ナイフ」が浮かび上がってきます。
次に別の壁面からバチバチッという音とともに目に痛い真っ赤なネオンで書かれた
「殺す」の文字(ていうか、字汚すぎて最初読めませんでした)、それから「ひゅんひゅん」という
いかにもなSEと共に浮かび上がったのがメルカトル図法の地球の絵、頭から蓮華が生えた黄金の女子高生の像、
折鶴でできたUFOという珍妙な組み合わせのインスタ。
解説によるとこれは三島由紀夫の「美しい星」にインスパイアされたとのことだけど、
なんともはや。
その後も、リネケ・ダイクストラの海岸シリーズ、加藤泉の胎児を思わせるペインティング、
猪瀬光のうち棄てられた身体(=死体)とうち棄てられた風景(=廃墟)を並列に語る
モノクロ写真など、いずれも人間を含む「生命」のはかなさ、脆さ、
危うさを描いた作品が並び、錆びた鉄板の上を裸で歩くような、
所在の無い不安に何度も襲われます。
これはある意味、「ハピネス」を標榜して無邪気に古今東西の美術品を
節操なく並べた展覧会への強烈なアンチテーゼとも言えると思う。
少なくとも自分にとっては、規模も入場者数も話題性も遥かに小さい
こっちの「孤独な惑星」展の重いメッセージがぐっと堪えたですね。
お土産に買った「水戸の梅」と「納豆せんべい」はうまかったです。