というわけで、新世紀エヴァンゲリオンのTV版全26話と映画版の25'、26'を一気に観ました。
まだ観終わったばかりだし、たとえ思ったことを書いたとしてもそれは既に語りつくされたことをなぞるだけなんだろうから、チラシの裏にローカル保存することにします。
ひとつだけ書きたいなと思ったのは、これもまあ言うの100万人目なんだろうけども、
アスカのメンタリティーというかアイデンティティの依拠するところはとてもアメリカ的(欧米的)で、逆にシンジ君のアイデンティティの根拠はすごく日本的だと思った。特にイラク戦争をはじめとする国際情勢と重ねると。
- アスカのアイデンティティは「勝つこと」。自分に対して敵対するものを倒すことがアイデンティティの根拠。だから「負け」はそのままアイデンティティの崩壊を意味する。
- シンジ君のアイデンティティは「必要とされること」。エヴァに乗るのは自分が必要とされていることを確認するための手段なんですよね。勝ち負けは関係ない。まあ情けないといえば情けないんだけど、そういうメンタリティなんだからしようがない。
日本も(というか日本人のティピカルな心情として)、「お役に立ってますか僕?邪魔になってませんか僕?」と常に確認してしまう。アメリカから「もう撤退していいよ」と言われるまでは留まってしまう。留まるんだけど、「誰も殺したくない」とジレンマに陥ってしまう。それで、「よく頑張ったね」と言われると有頂天になってしまう。
情けないかもしれないけど、自分はそれを責められない、というか自分もそうだし。いい悪いじゃない。価値観の問題。「空気読め」なんていう言葉が発生するのも、多分同じ。相手を慮って自己を抑制する。それは美徳ともいえるし、情けないともいえる。
だから、劇場版26話のラストでアスカがシンジ君に言う最後のセリフは、ある意味当然なんですよね。2人は他者なんだから。違う価値観、自我をもっているわけだから。完全に理解し・融合しあうということを拒絶したんだから。
他者である以上、完全な理解はありえない。だけど、そこを出発点に、お互い努力していけばいい。
・・・なんてことを考えましたけど、どうなんでしょ?