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 評論家ごっこ その2

(承前)

昨日は、日本の、特にネット上での「草の根評論」が

あんまり当てにならない、と書きました。

http://d.hatena.ne.jp/nyaofunhouse/20030707#p2

その例として「東京グルメ」http://www.zubapita.com/

挙げました。別にこのサイトに恨みがあるわけではないのですが、

なにしろ超有名サイトなので。



例えば、フランス料理のランキングを見てみます。すると、

全26軒のうち(全26軒というのが、まずすごいですが)

ベスト10は以下の通りになっています。

  1. カフェ ローズマリー
  2. ブルトン
  3. レストラン 七條
  4. コートドール
  5. ラビラント
  6. タイユバン・ロブション
  7. MONNALISA
  8. アテスエ
  9. レカン
  10. Cyrano de Bergerac

奇妙なランキングと思われませんか?

更に、詳しくは書きませんが、全ジャンルのランキングも

あります。

http://www.zubapita.com/irnk/ar/000/ratesum/1/



このランキングを見ると、とても奇妙な感覚に襲われます。

それは、「ザガット・サーベイ」の日本版が刊行された最初の号で、

全店のトップが「スタミナ苑」だったのを見た時と同じ感覚です。

つまり、日本では、高級フレンチも、うどん屋も、喫茶店も、

焼肉屋も、居酒屋も、ひとしく語れてしまう、ということなのです。

それだけを見るならば、日本における「食」の多様性として

肯定的に捕らえることも出来るでしょうが。

また、先に出したフランス料理のランキングでも、

グラン・メゾンもビストロも洋食屋も、全く等価として並べ

られています。

これも、「食」における権威付けに対するアンチテーゼ、と

言われるのかもしれませんが。

では、あらゆる「食」を等価として評論する際の、基準は

どこにあるのでしょうか?



そこで、この「東京グルメ」の、お店に対するコメント欄を見て

いると、ある単語が頻出していることに気づきます。それは

「コスト・パフォーマンス」(C/Pと略されている場合もあり)

という言葉です。

「コスト・パフォーマンス」を辞書で引くと、

財・サービスに支出した費用に対する、それによって得られた満足度の割合。(大辞林)

とあります。

つまり、多少強引ですが、

「80円のハンバーガーと、8000円のディナーを比較した場合、

 8000円のディナーの満足度はハンバーガーの100倍で

 なければ、コスト・パフォーマンスはハンバーガーに劣っている」

という考え方なわけですね。

でも、これって、おかしくないですか?

「どこがおかしいの?」とおっしゃる方もいるかと思います。

では、これではどうでしょう?

「通販で売っている2000円の複製画と、2億円の名画では、

 100000倍以上の満足度である必要がある」



・・・・・。



あらゆる価値観を等価にして、

金額÷満足度

という計算式で物事を計っていると、「本当に良いもの」との

出会いを見失ってしまうような気がします。

本当に良いものは、多くの場合、「そこそこ良く出来ているもの」

と比較して、値段の差ほどの違いは感じられないものです。

ですが、そこには、「ほんのわずかだけれど、絶対的な差」

が厳然として存在します。

それを、「格」と呼んでもいいかもしれません。



日本人は、「ブランド」は好きな割に、「格」を非常に

嫌う傾向にある気がします。それが悪いことだとは

思いません。押し付けられた権威を盲信する必要なんか

ぜんぜんありませんし。
ただ、そうした権威を一切排除して、
自分の主観だけで何かを

評論するのであれば、自分の中に「本物とは何か」という

絶対的な基準がなければ成り立たないはず。

それを抜きにして、自分が「美味しいと感じたかどうか」だけで

あらゆるランクのレストランを等価に語ると言うことは、

極論すれば、鴨肉が嫌いな人がトゥールダルジャンの料理を

「まずい!」と評価するのと、何ら変わりありません。

(トゥールダルジャンで食べたことはありませんけど。)

「まずい!」と感じることと、「まずい!」と評価することは、

全く別の行為です。


「ランキング」(=格付け)である以上、「格」を排除した

「格付け」が当てにならないのは、ある意味当然なのかも

しれませんね。