もうかなり話題になってるのでいまさら感なのですが、
水玉潰しゲームにハマってます。
水玉潰し 旧作品No.22468 | pya! (ネタサイト)
swfファイルをローカルに落として、このお正月の間、テレビの演芸番組を見る以外はほぼずっとやり続けてます。完全に猿。
・・・でやりながら思ったのですが、このゲーム、とくに目新しいことは何もしてないんですよね。フラッシュのアクションスクリプトがある程度書ける人ならば誰でも作れるレベル。似たようなゲームもゴマンとある。そうした凡百のパズルゲームとの違い、猿ゲームとそうでないゲームの違いって何なんだろう・・・と。
思うに、猿ゲームの条件としては
- ルールがシンプルであること
- 課題を解いていく過程に生理的快感がある
- 適当にプレイしていてもある程度までは進む
- だけど、漫然とプレイしているとあるレベル以上は行けそうで行けない
- その「見えない壁」を突破するには戦略が必要となる
- 若干の不確定要素(運・不運)がある
- 絶妙なゲームバランス
・・・ということなのかなという気がします。
それでこの水玉潰しゲームは見事に上記の条件をクリアして、多くの人を猿化させているようで。
今のところ自分は25面までしか行かれません。15面あたりから初期配置がかなり凶悪になるのでとにかく最初のほうの面で水玉の貯留数を増やすしかない。
それにしても、こうしたパズルゲームや大流行したクリックアドベンチャーみたいなフラッシュでのゲームのレベルの高さって、改めて考えてみるとすさまじいものがありますよね・・。
フリーのPCゲームは昔からあったけど、次々に発表される新しいゲームを手当たり次第にプレイできるフラッシュゲームのお手軽さは「TVゲーム」という概念を少なからず変えてきているような気がします。
これまで「インベーダー」や「テトリス」、「パネポン」や「もじぴったん」のようなワンアイデアのシンプルなゲームは大作ソフトに伍してハードの拡大に貢献してきたりしてたのですが、無料でこんなに面白いゲームがWeb上に溢れている状況では、ゲームをプレイするプリミティヴな喜び、みたいなものはコンシューマー機での供給というのが難しくなってくるのかもしれない。
そうなるとコンシューマー機はより大作・続編を主軸にした「守り」に入らざるを得ないだろうし、マニア囲い込みによる「閉じたメディア化」が更に進むのかもしれないなぁというような気もします。