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 日本語はロックに向いてない

オルタナソウルエイリアン 日本語はラップに向いていないという記事が話題になっているのを知って、「あれまあ『はっぴいえんど論争』ですかいな今更」と思ってブックマークしておいたのですが、よく考えてみたら、この記事を書いた方も含めて、「はっぴいえんど論争」を知らないでいる可能性もあると思ってちょっとだけ書き出しておきます。


前提として、1970年代前半の日本の音楽界では、ロック=英語詞であり、日本語の歌詞=フォークor歌謡曲というのが一般的な通念でした。その概念の背景には、「日本語はロックの音には向いてない」という音韻論と、「世界に通用するためには英語じゃないと」というマーケット論(というより野望論)があったようです。
そこに「ロックの音に日本語の歌詞をのせる」ことを標榜した「はっぴいえんど」が論議を巻き起こすことに・・・というのが「はっぴいえんど論争」です。そうした当時の状況を端的に表した記事を萩原健太氏の名著「文庫:はっぴいえんど伝説 (ROCK文庫)」から抜書きしてみます。

アルバム「はっぴいえんど」は、目論見どおり、<ニューミュージック・マガジン>誌が七一年四月に発表した第二回レコード賞において、日本のロック賞を射とめた。ちなみに、そのときのベスト五を挙げておくと――
一位「はっぴいえんど」(URC)39点
二位「niyago」遠藤賢司(URC)14点
三位「切狂言」クニ河内(ロンドン)11点
四位「晩餐」フード・ブレイン(ポリドール)10点
五位「見るまえに跳べ」岡林信康(URC)10点
外国ものでは、ベスト・ロック・アルバム金賞が「ジョンの魂」ジョン・レノン、銀賞が「シカゴII(シカゴと23の誓い)」シカゴ、銅賞が「デジャ・ヴ」CSN&Y、という結果だった。
この発表につづいて、同誌五月号に、日本のロックに関する興味深い座談会記事が掲載された。これを読むと、当時はっぴいえんどが関係者の間でどのように評価され、どのように位置づけられていたのかが見えてくる。サワリの部分を引用してみよう。
出席者は、中村とうよう、福田一郎、ミッキー・カーティス、小倉エージ、折田育造、そして、松本隆と大滝詠一。途中から内田裕也が参加する。


中村 「ニューミュージック・マガジン」レコード賞の”日本のロック賞”がはっぴいえんどに行ったというのが、裕也氏はかなり気にくわないらしくて、3日夜のヤマハのコンサートのときも、ぼくがステージにひっぱり出されて、からまれちゃったんだけど、ミッキーはこのレコード、どう思った?
ミッキー もうすばらしい。ヤキモチでカッカしてるんだ。音楽家として優秀だし、曲も気がきいてて、粋だね。録音もいいし。日本語で全部やったのがゴキゲンなわけ。オリジナリティがあるかって点では、あれをそのまま英語にしたら誰かに似てるかもしれないよ。でもとにかく、楽しめたわけ。すごく。
中村 ずいぶん褒められちゃったけど、はっぴいえんどの大滝くんと松本くん、どお?
大滝・松本 (テレて何もいえない)
中村 けなす人もあとで来るからさ、今のうちに喜んでおいた方がいいよ。
大滝 恐縮です。
ミッキー なんか普段話してるような言葉がそのまま歌になって、バッチリ乗ってるってとこが、すごくいいよね。
松本 ぼくらが日本語で歌っているのは、曲を作るのに英語の歌詞が書けないという単純な理由なんです。日本語のせるのに苦労してるのは事実です。
福田 ぼくが買ってるのは「春よ来い」1曲だけなんだ。
小倉 それはどういう点からですか?
福田 いろいろあるけど、音のバランスにしても悪すぎるよ。
松本 ミキシングもカッティングも悪いです。
福田 そう。そういう点で、本当ならもっと説得力も迫力もあるはずなんだけどね。
ミッキー 全体的に日本のほかのレコードにくらべて、あれならミキシングはいいほうだけど、悪いのはカッティングだな。
福田 そういう欠点はあるけど、とにかく、日本語もロックのリズムに乗るということを証明してくれたことだけでもすごく大きい。
中村 (大滝・松本に)やっぱり自分たちの音楽をロックだと思ってますか。
松本 思ってます。フォークじゃない。ぼくたちはずっとロックをやってきたし……。日本語がロックに乗るという自信はありましたね。まだうまくはいってないけど……。
折田 サウンド的にはロックそのものですね。言葉が聞きとりづらいという欠点もあるし、完全に日本語をロックに消化してるとはいえないだろうな。ボブ・ディランのように陰影のある言葉を音楽にのせて歌うところまでは行ってませんね。ぼくのばあいは、インターナショナルに成功したいという気持ちが大きいので、やっぱり英語でやりたいですね。ぼくは、はっぴいえんどのレコードを聞いてちょっと疲れましたけど、それは、バッファロー・スプリングフィールドみたいなサウンドで言葉が日本語だということのせいじゃないかな。
(中略)
――内田氏あらわれる
小倉 内田さんのはっぴいえんどにたいする疑問点を聞かせてください。
内田 ウーン。「春よ来い」にしたってサ、よっぽど注意して聞かないと、言ってることがわかんないんだ。せっかく母国語で歌うんだから、もっとスッと入ってこなくちゃ。
中村 発音が不明瞭だっていうこと。
内田 そうじゃなくてね。歌詞とメロディとリズムとのバランスというかね、日本語とロックとの結びつきに成功したといわれてるけど、そうは思わない。
中村 もちろん不充分な点は多いけど、日本のロック全体の水準から考えないと……。
内田 ぼくは去年の「ニューミュージック・マガジン」の日本のロックの一位が岡林で、今年ははっぴいえんどだと、そんなにURCのレコードがいいのか、われわれだって一生懸命やってんだ、といいたくなるんだ。
<ニューミュージック・マガジン 一九七二年五月号>


「普段話してるような言葉がそのまま歌になって……」とか、「日本語もロックのリズムに乗ることを証明してくれた……」といった件から、逆に当時の「日本語」と「ロック」との関係を浮きあがらせることもできる。


内田裕也さんの有名な都知事選挙演説の英語スピーチもこの記事を前提としてみれば全く不思議ではないわけで。
そして、多分今も内田さんはこの考えが変わってないと思う。


追記:ちなみに、上記の文章のあとに松本隆が裏話を披露していて、はっぴいえんどが日本語の歌詞でいくことに最も頑強に反対したのが細野さんだった、とあります。
青年・細野晴臣を説得するのは大変だったろうなと思います。