引越しをしたのです。
1月の下旬だから、もう3週間近く前に。
だというのに、まだ段ボール箱の山の中で呆然としていたりします。
まあ、荷物段ボール100箱以上あったからね・・・。本だけで40箱。おたくな人はこういうときに困ってしまう。引越し業者あきれてた。
新居は東京23区内。立地は申し分なし。広さも間取りもそこそこ。望外の好物件で、「これからはオサレなエブリデイが待っているのね・・」と夢想したことは間違いないです。
なのに、いざ暮らしはじめてみると、不満ばっかりに気をとられてしまう。
築40年のおんぼろアパートを無理矢理リフォームした物件なので細かな不具合があちこちにあったり、水周りから下水の匂いがしたり、携帯の電波が弱かったり。立地ではドラッグストアが小さな店しかなかったり、近くにネカフェがないとか。
どれも致命的な欠陥ではないのだけれど、気になって凹んでしまう。
でもそれはなんでなんだろう?と思って。
「理想と現実」と対になって使われますよね。理想は甘く美しく、現実は苦くて厳しい。とか。
だけど、自分たちは「現実」しか生きることができないのです。どんな素敵な人生でも、それはどこまでも「現実」でしかない。
100点満点に150点は存在しないのです。だけど、150点を心の中に思い描くことはできるし、思い描きがちなんですよね。それで、思っていたことの3分の2しか叶わなかったと嘆く。
絶対的な不幸というものはあっても、絶対的な幸福というものはありえない。と思う。
なぜなら、「不幸」は事象も含まれているけど、「幸福」は心理状態だから。と思う。
ほら、言うじゃないですか。「幸せは歩いてこない」って。
幸せは歩いてこない。幸せはもたらされるものではない。
幸せは果てしなく続く茫漠とした「現実」の砂漠の中にある金の粒のようなもの。砂をかきわけかきわけ。
そんな面倒な事をしなくてもじゅうぶん生きていけるけど、せっかくだから。
生活環境が変われば幸せになれるなんてことは有りえないのだから、頑張って行動起こさないとね。ネガティヴな部分をひとつひとつ駆逐していかないと。
まずは荷解きだ。残り(約)50箱。
あと、耳が痒いのだけれど、耳掻きはどの段ボール箱に入っているものやら。