こっそり。
昔は、「気違いに刃物」という言葉があったように、凶悪な犯罪を犯す人間の大半・・・とは言わなくてもある程度の割合は頭のおかしな人である、とされてきたように記憶しています。ブリーフ一丁に刃物ふりまわしてたあの人や、停車中のバスに放火したあの人や。
それがいつの頃からか「頭のおかしな人などいない」という概念が(主にマスコミによって)定説として世の中に伝播していって、「気違い」という言葉自体も駆逐されて。
それでどうなったかというと、明らかに狂気に陥っていると思われる人間であっても隔離も保護もされずに社会に放置され、その結果常軌を逸した犯罪が行われた場合、精神鑑定は行われるものの、マスコミ的には「頭のおかしな人などいない」という前提があるものだから、犯行の動機を別なものに求めざるを得ない。あるいは「こういう狂気的犯行に至るには何か外在的な要因があるはずだ」と考えるわけです。
そこで
「児童ポルノが性的嗜好を刺激」
「ゲームが脳を狂わせる」
というのは最も安心できる理論で、家宅捜索の結果AVやゲームが発見されると「それだ!」となるわけです。
そりゃ、たいていの男子はAVやゲームなんかたくさん持ってますよ。だから出てくるのは当然。
そういうわかりやすい原因が出てこなかった場合、少年だったら学校生活のストレスや家庭の問題、社会人だったら競争社会のストレスにすれば、全方位対応可ですね。
個人的には狂気には必ず明確な外的要因があるのかどうか疑問なのですが、もし仮にそうだとして、
要因(ゲーム・ポルノ・現代社会・・・)→狂気→犯罪
というのならまだしも、「頭のおかしな人などいない」という前提があるために
要因(ゲーム・ポルノ・現代社会・・・)→狂気→犯罪
と、「要因」があたかも「直接的な原因」であるかのように報じられているのが現状ではないかと。
それでゲームをつぶし、ポルノをつぶしていこうとする。
それが全く無効だとは言いませんけども、その前につぶすべきは「狂気」のほうでしょう?
「つぶす」というのは、前時代的な虐待的な対応を指しているわけではありません。
「頭のおかしな人などいない」と目をそらすのではなく、
「頭のおかしい人」の存在を認め、彼らと一般社会をどのように調和させるのかを真剣に考えていくべきなのでは。と思うのです。
・・・という文章を深く考えずに書いてみた。
読み返してみて、ちょこっと自問自答。
- 「犯罪心理学」という学問がありますが。
確かに。だけど犯罪が起こったときにコメントしている「犯罪心理学の権威」の人の言説は首をひねりたくなることが多いですよ?
- ゲームが狂気を引き起こしての凶悪事件、という以外に、「ゲーム感覚での犯罪」という、もっとカジュアルな犯罪も多発しているわけで、それの原因はやはりゲームでは?
うーむ・・。ゲーム感覚で犯罪を行う人がみんな「ゲームと現実の区別」がつかないほどゲームに没頭しているとは考えにくいです。つまり彼らはゲームと現実の区別はついているけれど、現実の世の中でもゲーム感覚で犯罪を行っても構わないという、倫理観の欠如に要因があるように思うのですが。そして倫理観の欠如はゲームに原因があるわけではなく教育の問題だと思う。
- 以前「明治天皇の命令で」殺人を犯した人がいたけれど、明治天皇は禁止(ないことに)されなかった。だけど「明治天皇」の部分をアニメキャラやエロゲの登場人物に代えると、とたんにアニメやゲームのせいにされそう。
「木之本桜さんが命令して」とか、微妙にキャラが古かったりして明らかにリアルオタではないだろうよ?という場合でもおかまいなしに「オタクの犯罪」となるんだろうな。宮崎事件のときの「若奥様の生下着」と同様。
- なんでも「頭のおかしい人だから」で済ませるほうが安易なのでは?被害者の家族の心情を考えると、原因が何なのかを究明するのは当然だと思うけど?
原因・要因を調べるのは当然。だけど、安心したいがために原因を強引に探し出そうとしてませんか?明確でわかりやすく、叩きやすい原因だとさらに安心なわけで、ゲームやポルノは容易にスケープゴートにできますし。