行ってきました。
http://www.yokohama2005.jp/jp/
2001年の第1回から4年。「トリエンナーレ=3年に1度」だから、2回目にして早速1年遅れだったわけだけど、ともあれ開催されて良かった。
このあたりの経緯はこちらに概要が書かれているけども、このゴタゴタや、総合ディレクターに急遽決まった川俣正さんと「アート・サーカス(日常からの跳躍)」というテーマ設定が自分の中でうまく結びつかなかったこともあって、いったいどうなってるのか、期待半分不安半分でした。
入り口はマリンタワーの向かい、山下公園の奥にあります。
入り口の手前に設置された巨大なコンテナを組んだ凱旋門のようなオブジェ(ルック・デルー「スパイバンク」)に続いて、入場ゲートも青くペイントされたコンテナ。
ここから会場までの長〜〜〜いプロムナードを、ダニエル・ビュランの三角旗に迎えられながら歩いていきます。
このプロムナード、新聞のトリエンナーレ特集記事では「青い海と空の中、旗をくぐりながら祝祭空間に向かう」とあるのですが、実際に歩いてみるとなんか違う。
今日が曇天だったこともあるけれど、このプロムナードは山下埠頭の倉庫街の端に設置されていて、隣では普通に倉庫作業中なのです。とても「サーカス」とか「祝祭空間」と呼べるような雰囲気ではない。
会場は2棟の倉庫を改築したもの。ほんとに倉庫です。
建物に入るとまず目に入ってくるのは高松次郎さんの影絵のようなペインティング。
そしてがらんとした空間。
一瞬、どう行動していいかわからずに立ちつくしてしまう。
2棟の倉庫はそれぞれ3つの空間に大きく分けられ、合計6つのスペースで全体が構成されています。そして2棟の倉庫の間は「ナカニワ」として、各種パフォーマンスやイベントが繰り広げられていて、最初はどうしてもそちらに目がいってしまいます。
自分が行ったときは身体表現サークルの皆さんの褌パフォーマンスや
傘を積み上げるパフォーマンスが行なわれていました。
他にもあちこちでゲリラ的なパフォーマンスが突然始まったりして、
チャンチキトルネエドの皆さんのカッチョよいパフォーマンスや
アン・ハミルトンの「Line」という、天井によじ登ってロープで円を描くパフォーマンスなんかもありました。
こうしたアクロバティックなパフォーマンスや楽隊の演奏、ユーモラスな身体表現などは、確かにサーカスにも共通の要素ではあります。
だけど、「サーカス」という言葉から喚起される明るく賑やかなイメージとは、やっぱりちょっと違う。その違和感を持ちながら会場内の展示作品を観て回りました。
それにしても会場に入った瞬間に感じたがらんとした空間の印象、「祝祭空間」とは程遠い雰囲気は、会場を回るにつれてより強く感じられるようになってきました。
各アーティストごとの展示スペースは大まかに仕切られているのですが*1、その仕切り方がものすごい。
こんなかんじだったり、
こんなかんじだったり。
奈良美智さんの展示スペースはこんな。
ここは今日の時点ではまだ完成していませんでした。
とにかくベニヤ板+鉄パイプ組みが剥き出しだったり、会場内にもコンテナを持ち込んでその内部を展示スペースにしたり。
そのうちだんだん見えてきたのが、
「これって、川俣正の作品そのものじゃん・・・。」
川俣正さんは総合ディレクターで、ここで作品は発表していないのですが、
会場全体が見事に川俣作品になっている。
それを端的にあらわしているのがシンボルマーク。
横浜トリエンナーレとしてのシンボルマークは公式サイトにもきちんと載っているものが既にあるのですが、会場に入ると、この公式シンボルマークが別なものに置き換わっている。
それがこれ。
会場いたるところにある青いカラーコーン。これが今回のトリエンナーレの象徴=シンボルとして扱われている。
それはおみやげ物コーナーを見れば明らかで、オリジナルグッズはほぼ全部、この青いカラーコーンがモチーフになっています。
カラーコーンが表すもの。それは工事中・作業中。Work In Progress。つまり未完成であるということ。
川俣さんの意図した「アート・サーカス」というのは、おそらくディズニーランドのように完成された、そこに行けば誰でも非日常を享受できる祝祭空間ではない。
隣は作業中の倉庫、会場にはコンテナ、ベニヤ板、鉄パイプ。そしてカラーコーン。これらは日常のアイテム・・というより、むしろ工事現場や廃墟のような、普通の人が立ち入らない場所に使われるアイテムなわけで。
観客の目の前にあるのは広大な、未完成な空間、ある種廃墟のような日常空間なわけです。その空間を、観客がアートにコミットしていくことによって、祝祭空間として「回復」していく。その装置として、作品が存在する。
今回の展示作品がほとんどインスタレーション、とりわけ空間そのものを提示する作品が非常に多かったのも、そうしたコンセプトに基づいたものではないかと思うのです。
「日常からの跳躍」とサブタイトルがありますが、「跳躍」するのはアーティストでも、このトリエンナーレの空間でもなく、このトリエンナーレを訪れた観客につきつけられた命題なわけです。日常から跳躍して、作品に深くかかわっていかない限り、廃墟は廃墟のまま、決して回復していかない。
ある意味とても意地悪なコンセプトでもあり、川俣さんのこれまでの作品の集大成的な意味合いもあり、かなり硬派だなぁという印象です。
そのかわり、「廃墟の回復」に成功すれば、様々な刺激的で楽しい体験が出来ることも間違いないです。
磯崎さんの考えていた最初のプランについては本になったとのことですが、このプランが実現できなくなった時点で川俣さんを総合ディレクターに指名したのは慧眼だったと自分は思います。
他の人であれば、この悪条件下では、おそらく箱物としてのお祭り(祝祭)空間はもっときれいに作り出したでしょうけども、中身はきっと空疎なものになっていたのではないかと思うのです。
今回自分は会期中何度も入れるフリーパスを購入したので、また行くつもりです。
もう少し間を置いて、ここがどのように変化するのかを見てみたい。
閉場してから、オープニングの4日間限定のダニエル・ビュランの「サーカス・エトカン」が入り口付近の別会場で行なわれました。
これも会場は鉄骨とネットで組み立てられた、非常にそっけないもの。
演目も素晴らしかったけど、構成は非常にシンプルなものでした。
一番上の画像は今回のトリエンナーレ関連企画のスタンプラリーでもらった、ウィスット・ポンニミットさんのイラストのTシャツ。
MサイズとSサイズしかないとのこと。着れないジャン。
・・・大切にとっておきます。
*1:完全なオープンスペースに展示してある作品も多数あります