加藤茶と志村けんがベースにしたマルクス兄弟的なアナーキーな笑いと、
高木ブー、仲本工事が担当したローレル&ハーディーやアボット&コステロ的な
泥臭い笑いをいかりや長介がうまくまとめる、という形をとっていたと思います。
彼はたくさんのギャグを生み出したけれど、彼自身が前面に出てギャグを演じることは
実はほとんどなかった。だから当時の子供からの人気は低かったけれど。
今ではドリフターズの正統派でありながら幅の広い芸風は、ひとえに
いかりや長介の、異なるベクトルの笑いをひとつにまとめあげる能力に
負う部分が非常に大きかったことがはっきりしています。
そのコンダクター的資質は、やはりベーシストというポジションによって
培われたような気がするのです。
・・・それにしてもへこむ。
もし自分と同年代で、この訃報を聞いてへこまない人がいたら、
その人は本当にかわいそうだと思う。
その人は、ドリフのコントで大笑いをした幸せな時間を全くすごせなかったか、
忘れてしまった人なのだから。
追記:お通夜の祭壇に飾られた遺影は、やはりベースをもった
いかりやさんの姿でした・・・・。ぐっと胸にせまるものがあります。
ただ、きっとあんまりしんみりするのはいかりやさんも望んでいないでしょう。
これからの普通に過ごす日日の中で、きっとまた「だめだこりゃ〜」とか
「声が小さ〜い!もう一丁!」とかのセリフが口をついて出るたびに
彼の影響の大きさを改めて思い起こす事になるのでしょう。