Nyao's Funtime!!

nyao(♂)の不可逆な日々を、チェスの騎士のように不規則にたどたどしく綴っていこうと思っています。

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長見良の魔法世界

Nyao's Funtime!!は漫画「ファンタジウム」と
長見良の魔法世界を応援します!
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ファンタジウム(1)【Kindle版】

おこもり中でも美味しいケーキ食べたい人は・・紹介記事書きました。


少年が起こす小さな奇跡を描いた漫画「ファンタジウム」が起こした2つ目のキセキ


正直に告白すると、こう見えて、毎日を生きるのが、とてもとてもつらいのです。
ケーキばっか優雅に食ってて何がつらいって?と思われるかもしれませんが、
ケーキ食べ終わって残った紅茶でたくさんのお薬を飲んでたりします。
通院代、薬代は本当に家計を圧迫していて、その金額は確定申告で医療費控除が申告できるぐらい、といえばある程度想像がつくかと。


一応そこそこの大学出て、いっぱしのサラリーマンやってたのですが、ある日ドロップアウト。
あ〜れ〜と真っ逆さまですよ。
そこからは、自分の無能さ、無力さ、弱さ、醜さに毎日のように直面していて、ブラック企業でもまだ「誰かの役に立てて、その上お給料がもらえる」というのがどれほど有難いことなのかを思い知らされました。
でも、これもよくある話。
住む家がない人だってたくさんいる。自分よりももっと重度の鬱で苦しんでる人だってたくさんいる。
それはわかってる。けど。


日本では毎年数万人の人が自ら命を絶っています。死因の第3位でしたっけ?
自分もその中の一員になろうと思ったこと、何度もあります。
だって本当に毎朝つらかったから。
苦しみは簡単に相対化できるものではない。
自分のこと助けてくれた人もいっぱいいて、すごく感謝してるけど、それでももうダメだと思ったことも、何度もあって。
気がつけばそんな毎日がもう10年近く続いてます。
そうした苦しみの中、偶然出会ったのが「ファンタジウム」という漫画作品。
2008年4月のことでした。


漫画「ファンタジウム」の内容を一言で表すならば「少年が起こす小さな奇跡を描いた漫画」・・・とでも言いましょうか。ちょっと言葉足らずかな。
じゃあ二言で表すならば。「マジックに自分の全てを賭けた天才少年と、その才能に自分の人生を賭けたサラリーマンが互いに支えあって成長していく物語」・・・でどうでしょうか。


ファンタジウムの主人公、長見良。中学生。まだあどけない少年です。
一般社会を生きる人間としては無能で無力だった少年は、たった一つだけ、天才的な才能をっていました。
それが「マジック=手品」のスキルでした。
だけど、マジックの才能があったところで、日常生活に役に立つわけではない。
とても繊細な心を持った少年は、自分が直面する厳しい現実に打ちひしがれて、社会から落伍する寸前でした。
その崖っぷちで出会ったのが平凡なサラリーマン、北條。
北條は長見良のマジックの才能に惚れ込み、マジックを通じて良くんを陽の当たる場所へ連れて行こうとするのです。


長見良の最初のステージは、場末のキャバレーの舞台でした。
彼はそこで、マジックという、ほんの小さな「奇跡」を起こしてみせます。
その小さな「奇跡」は次のステージへと彼らをいざない、そこで良くんは最初よりももう少し大きな「奇跡」を起こしてみせます。するとその「奇跡」はまた次のステージへと通じていて・・・
それは、小さな水滴の1滴1滴がやがて水の流れを生み、その水の流れが次第に大きなうねりになっていくように、長見良という小さなマジシャンは奇跡を起こし続けるうちに、いつしかショービジネスの世界に足を踏み入れることになります。


だけど、良くんの繊細な心は、華やかなショービジネスとはなかなか相容れることが出来ない。
何度も傷つきながら、でも自分の存在意義であるマジックを全力で演じていきます。
そうしているうちに、ついには夢に見た世界の舞台が視野に入ってきました・・・


・・・というところで連載は中断。
長い沈黙期に入ってしまいます。


こうしてあらすじだけ読むと、トントン拍子のサクセスストーリーに思われるかもしれません。
確かにそうした面もあります。そういう読み方もできるでしょう。
だけど、その部分だけでは、この作品がこんなにも心を鷲掴みすることはない。


この作品「ファンタジウム」の主人公、長見良少年は、読み書きの能力に障害を持っていて(ディスクレシア)、日常生活においても学校生活においても、普通の中学生として生きることができないのです。
そして、人一倍繊細な心を持っているがために、自分の無力さにボロボロに傷ついていました。
それが、北條氏と二人三脚で歩いていくうちに、次第に自分のことを肯定的に捉えることができるようになっていきます。自分は自分のままで、生きていていいんだ、と。
そして、長い時間をかけて、良くんはこうつぶやきます。
「俺、生まれてきてよかった」と。


ファンタジウムという作品は、最初に書いたように、少年が起こすマジックという小さな奇跡、それが次第に大きな奇跡を生み出していく、というストーリーです。そして、この作品そのものがひとつの奇跡なのだと思います。
少なくとも自分にとってはそうでした。


正直な話、自分がこの作品を読んだ瞬間に鬱が完治してバリバリ働けるようになった・・・というような話にはなりません。
でも、優れた絵画や、優れた音楽や、優れた映画が、それ自体ひとつの奇跡と思えるほどに美しくあるのと同じぐらい、ファンタジウムという作品は、巨大ではないけれど奇跡のように美しい作品である。と断言することはできます。
その奇跡のような美しさ、長見良の瞳に宿る強い意志と息を呑むマジックのシーン*1に自分は心奪われたし、良くんの生き方から大きな影響を受けたのは事実です。



どんなに自分が無力に思えて、闇が深く感じられても、自分が大切に思っているものに対して誠実であれば、そこに光さす世界が待っている(かもしれない)という。
これが、ファンタジウムの1つ目のキセキ。


・・・そして、ファンタジウムは、あらすじの最後にも書いたように、良くんが世界に羽ばたくその瞬間から、時間が止まってしまっていました。
それでも自分は信じていました。この小休止は、必ず終わる時が来ると。
そのため、このダイアリーのトップにあるバナーもずっと掲載し続けました。
また、休載の間、有志の人たちでツイッター座談会が行われたり、ネット上で宣伝をしたり、様々な努力が行われていました。
そうした努力は、一見無益に思えるかもしれませんが、長見良が起こし続けたマジックという小さな奇跡と同じように、ファンの地道な活動という小さな奇跡が徐々に広がっていって、ついには講談社に「ファンタジウム連載再開」という、重い扉を開けさせたのです。
これが、ファンタジウムの2つ目のキセキ。


ただ、このファンタジウム連載再開については、決して楽観視できないようです。
連載再開の舞台「週刊Dモーニング」では「ファンタジウム・完結編」という紹介のされ方をしていて、編集側は短期決着を望んでいるように見えるし。
だけど、ここまできて、不本意な終わり方は絶対にさせてはいけない。
ふたたび翼を広げた長見良の羽ばたきを止めさせてはいけない。
作者の杉本亜未先生は、人気が出れば続きが描ける!とツイートしていますし。
漫画「ファンタジウム」がもたらす最後のキセキは、これから生まれることになります。
そして、この最後のキセキは、自分たち読者の協力が不可欠です。
どうか、この奇跡の物語「ファンタジウム」が最高の結末を迎えることができるよう、協力して欲しいのです。
自分はできる限りのことはしますが、自分の力だけではどうにもなりません。


まだこの作品に触れたことがなく、この駄文を読んで少しでも「ファンタジウム」という作品に興味をもった方、
1話がネット上に無料で公開されています。

まずはこの1話だけでも読んでみてください。
そしてこの話の続きを読んでみたいと思われましたら、ぜひ単行本を手にとってみてください。現在発売中の7巻までと、近日発売の8巻を。
この作品が、闇を照らす小さな光になってくれる、「ファンタジウム」はそういう力を持った漫画ですから。


それから、スマホかタブレットを持っている方は、連載再開の舞台となる「週刊Dモーニング」に加入していただければありがたいです。Dモーニング、月500円で毎週モーニングの連載作品のほとんどとオリジナルの作品が読むことが出来ます。
週刊Dモーニングはスマホ・タブレットのアプリとして配信されています。
iPhone、iPadはこちら。

Google Playストアはこちら。

良くんの新しい活躍を、3番目のキセキを一緒に見届けてくれる人が1人でも増えたら、自分はとても嬉しいのです。

ファンタジウム新章「メカニック」掲載は、3月6日の週刊Dモーニングから3号連続でスタートします。

*1:ファンタジウムにおけるマジックのシーンは、手品の手順を追っていくというよりもマジックのもたらす興奮や感動のエッセンスを抽出した描写になっていて、コマのひとつひとつが煌めくような美しさなのです